2013.1.16(水) 「雪かきと人間の営みの発展について」

 先日、僕の住んでいる地域に久しぶりに大雪が降った。ちょうど祝日の昼から夕方にかけて降ったので、翌日の朝、会社へ通勤するとき、路面が凍結していて何度か転びそうになった。その後、仕事を終えて会社から帰るときになると、誰かが雪かきをしてくれたのだろう、歩道は歩ける場所が作られていて、転びそうになることもなくなった。ありがたい話である。

 ここで話が一気に大きくなるけど、人間の営みの歴史というのは、まるで「雪かき」のようにして作られてきたのだといえる。生活をしていて何か不都合なことがあったとする。それをなくしてより快適な暮らしを送りたい、と思う人がいる。そう思った人のうちの誰かが、その不都合を解決する手段を思いつく。人類の暮らしはそういったことの連続によって発展してきている。障害物(雪)を取り除く行為(雪かき)の連続だ。

 夜になっても昼間のように明るかったら便利なのに、と思った人が白熱電灯を発明する。鳥のように自由に空を飛べたら良いのに、と思った人が飛行機を発明する。そういった有名なものに限らず、無数の小さな改善とか改良によって人類の営為は発達してきている。そもそも、いま書いてるこの文章の「文字」もまた、先人の発明によるものなのだ。(よくよく考えると、文字ってすごく便利だよね)

 そういった過去の人間たちの、無数の「雪かき」によって今の生活があるのだな、と思うと何とも言えない気持ちになる。それを敢えて言葉にするとしたら、「ありがたい」というのがいちばん近い気がする。

 翻って考えるに、僕はこれまで生きてきて、将来の誰かのために「雪かき」をしてきただろうか。おそらく出来ていないだろう。ではこれからの人生で多少なりとも、それができるのか?できるとしたらそれはどういった方法で?そういうことをもう少し真剣に考えたほうが良いのかもしれない。最近、漠然とそう思うようになっている。


2013.1.9(水) 「レバレッジ親孝行」

 子育てというのは、株の投資に似ていると思う。子どもが生まれてから成人するまでに、親は食費や教育費など諸々の費用を子どもに投資する。成人するまでは、子どもはほとんど自分でお金を稼げないので、投資家(=親)が株(=子ども)から得られるリターンはゼロに近い。

 ただ、子どもの成長を間近で見られることが、親にとってはお金では換えられない価値がある、という面は大いにあるかもしれない。しかし、これについてはここでは考えないことにする。定量化がしづらいからである。ここではお金とかの物質的なリターンのみを考える。

 親が老いて、介護が必要になったりしたときに初めてリターンが発生する。子どもが「優良株」であれば、親の面倒を見てくれる。途中で子どもがぐれてしまった場合はそうならない。盗んだバイクで走り出して、二度と親元へ戻ってこなかった場合、それまでの投資はパーになる。紙くず同然の株券。今で言えば東京電力の株のようなものだろうか。

 そういう意味で、子育てという投資には、次のような特徴がある。
1.元手が多くかかる。(成人までに1千万円以上)
2.リターンが確定するまでに時間がかかる。(20年以上のスパンが必要)
3.元手が大きい割に、リターンがそれほど多く見込めない場合が多々ある。

 物質的な面から見た場合、子育ては、それほどわりに合わない投資なのかもしれない。

 去年の年末に、実家へ帰った。帰省の際に、お土産としてお菓子を買ったのだけど、これはさながら「配当金」のようなものだな、と思った。今までの投資に対するお返しとしてのお菓子。これまでに、両親が僕に対していくらの「投資」をしてくれたのか分からないけど、おそらく1千万円は下らないだろう。1千万円の投資に対して3,000円のお菓子の配当ではあんまりというか、ほとんど不良株である。おまけに僕は、自分で買ったお土産を自分でむしゃむしゃと食べていた。買った株が、自ら配当金を食べているのである。株主からすればたまったものではないだろう。

 今年もがんばって仕事したりして、自分の「株価」を上げていこうと思う。それが最大の親孝行というものだ。